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- 中里村(中世)とは
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中里村(中世) 南北朝期に見える村名糠部【ぬかのぶ】郡南門のうち建武2年9月6日付の南部師行宛北畠顕家御教書に見える(盛岡南部文書/大日料6-2)横溝孫六重頼は陸奥国司北畠顕家に属して,「糠部南門内横溝六郎三郎入道跡中里村」を給された先給人伊達彦五郎の辞退をうけて,本主の同族である孫六重頼が給人とされたのは当然の成り行きであったところが,この所領は誤って同族の彦三郎(祐貞)にも宛行われることとなった孫六重頼の抗議によって彦三郎への宛行いは取り消され,彦三郎には他所が与えられることになったなお,彦三郎の文書には横溝六郎三郎入道跡は「葛巻村」とあったという中里村の在所は葛巻町江刈のうち中里・葛巻両村が混同されたのは近距離である故か |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中里村(中世) 戦国期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」
中里村(中世) 鎌倉期に見える村名... |
出典:KADOKAWA「角川日本地名大辞典(旧地名編)」